~BBS~
・宮崎BBSのOB会にインタビュー
インタビューは更生保護ボランティアの一角を担うBBS会のOB会にスポットを当ててお届けします
司会) 皆さんがBBSに参加したきっかけを教えてください。
村上) 県庁に入った時にBBSの噂を聞き、その理念を知ってすぐ入会しました。もう半世紀も前になります。
久峩) 東京の大学を卒業して日之影中を経て、高校に移るために宮崎に戻ってすぐBBSに入りました。昭和 40年代の初め でしたね。
佐藤) BBSに入っていた姉の影響で 20歳の時に会員になりました。
司会) 昭和の時代のBBS活動はどんなものでしたか?
久峩) 当時のBBSは若い社会人が中心でしたが、活動は盛んでした。新聞などにも度々取り上げてもらっていて、県内でもよく知られていました。
佐藤) 活動は楽しくて楽しくて、何でもやりました。深夜まで議論したり、一緒に山に登ったり、キャンプをしたり、旅行をしたりしました。例会の後、みんなで会員の家に泊り込んで話をして、そこから出勤したりとか…。
村上) 「モデル地区会」の指定を受けて、大淀幼稚園の子どもたちを中心に「BBS農園」という畑を赤江に作ったことがあります。10年くらい続きましたかね。
久峩) もちろんBBSの特徴である「ともだち活動」も一生懸命しましたよ。家庭裁判者や保護観察所からの依頼を受けて、1人の会員が1人の対象者(少年少女)を受け持って、一緒に遊んだり勉強したりして、彼らの心を解きほぐしていきました。
佐藤) 当時の子どもたちは純粋でしたから、私たちも付き合いやすいところがありました。もっとも、少年少女からはともだちとして認められず、その母親とのともだち付き合いに終わった苦い経験もあります。
村上) 1対1のともだち活動は現実的にはなかなか難しいので、児童相談所とか母子寮などを訪問したりして連携できるように努めていました。
久峩) 保護司会や更生保護女性会(更女)との連携はずっと続いています。BBSで餅つきが始まったのも更女との連携を強めたいという思いがありましたね。
佐藤) 私なんか宮崎で開かれた更女の九州大会のとき、広報係で写真撮っていましたからね。
司会) BBSの今後の展望は?
村上) 昭和の末から平成始めの時期は学生中心の時代で活気づきました。その頃、私たちはOB会に移りました。OB会といっても全国組織まであって、現役並みに活動的です。その後、学生がいなくなると、現役組織が復活するまでの 間、宮崎地区はOB会が活動を支えてきた訳です。
佐藤) BBSは人生の基本でした。現役会員が困ったことがあったときは、全力でサポートしたいと思います。
久峩) 若い方がBBSに興味を持ってくださることは本当に嬉しい。これからは、保護司会や更生保護女性会などとの連携をはかり、一緒に地域に貢献していくことが大切だと思います。
~更生保護女性会~
・谷口 久仁子さんにインタビュー
更生保護女性会(以下、更女)の活動に加わるようになって 25年になります。あっという間でしたね。更女は同じ更生保護ボランティアの保護司会と比べて、より地域に密着した活動を展開しています。保護司は対象者との1対1に向き合う活動が中心ですが、私たちはグループ単位で地域の方々と協力しながら活動することが普通のスタイルといえます。
宮崎地区では、更生保護施設「みやざき青雲」(以下、青雲)を対象とした活動が特徴になっています。まず、地区内の各支部が毎月1回、当番制で青雲の厨房に入って寮生に「おふくろの味」を夕食として提供しています。。年2回寮生に料理教室を開催し、併せてゴミの分別と社会生活のルールを学んでもらい、自立の準備に役立てています。クリスマスやバレンタインデーなどには、更女会からのプレゼントを届けて、寮生の心が和むことを願っています。さらに年末の餅つき大会は、地域の子ども会などを招いて青雲の中庭で賑やかに実施されます。ほかに花壇整備の支援などもしているんですよ。
他の活動としては、宮崎刑務所の矯正展にも毎年食堂やバザーの店を出店しています。最近は市民の皆様からも非常に好評を頂いており、更女の出店を心待ちにしているという声も頂戴するようになりました。
日常的に全国展開されている「社会を明るくする運動」(社明運動)の強調月間(7月)行事では、街頭での啓発活動や出前講座などを実施しています。全員が運動を盛り上げていこうと張り切っています。 残念ながら、活動の多くはコロナ対策のために休止中で、令和5年度は活動再開できることを心から願っています。
更女は制約を受けない自由で伸び伸びとした活動が特徴です。会長の仕事は幾つかありますが、中央から提案される事業・活動助成制度を、地域性を活かして活動できる地区におろして、アドバイスしながら成功に導くことにどがあります。一人ではできないこともチームワークの力で支え合い、楽しく形にしていく喜びもあり、活動を通して自分たちの人生も豊かに広がっていくのを実感します。ボランティアは、してもされても感謝する心が育つ活動であることは間違いないと思います。恒例となった活動だけではなく、「やりたいことが見つかったら即対応。やりたいことを見つけよう」という気持ちが大切ですね。
宮崎市の調査では、更生保護活動をしている団体の認知度が保護司40%、更生保護女性会6%だったそうです。会員数では保護司を大きく上回る規模なのですが、この数字はショックでした。地域との活動は積極的に実績を治めてきた自負がありますので、とても残念です。これからは知名度もアップさせるべく、もっともっと地域・企業・行政など多くを巻き込んでのムーブメントを起していきたいと会員一同が燃えています。
~保護司会~
宮崎保護観察所の細木直久所長は、令和6年1月31日に宮崎南警察署を、2月5日に宮崎北警察署を訪問し、両署長を表敬するとともに、県内の更生保護事業の現況を説明して、保護観察事業と警察業務の連携強化について話し合うなどしました。
この懇談には、コーディネーター役を務めた県更生保護協会の横山登常務理事のほか、宮崎地区保護司会の役員も帯同し、更生保護や保護司会を取り巻く諸事情について意見を交わしました。
●『サンフラワーズ』通巻第2号(『ひまわり』第29号)の記事からピックアップ
長 秋美さんにインタビュー
1 保護司になられたきっかけは
信頼できる知人からの薦め。平成15年からスタートしました。そもそもPTA活動や健全育成協議会との関わりも地区子ども会のソフトボールに息子を連れて参加し、世話役を引き受けたことからから始まりました。地域の子ども達のためという素朴なボランティア活動が色々な人との関わり合いによって、良い仲間と出会い、長年にわたる貢献につながったと思っています。
2 やりがいを感じる瞬間とは
保護司は他のボランティアと違って、秘守義務があり家族にも言えず、笑顔にも囲まれることも報われる事も少ない仕事ではありますが、それだからこそやりがいを感じます。
3 家族の方々の反応はいかがでしたか?
私は幸いにも、家族からの理解があり何度となく助けられました。妻は、平成 年、県保護司会会長内助功労者表彰を受けています。
4 保護司を辞めたいと思ったことはありましたか?
一度もありません。私は、この仕事が好きなんだと思います。自分を信じて頼ってくれる対象者に寄り添っていくことを心がけています。
5 これから、チャレンジしてみたいことはありますか?
最後まで、保護司の仕事を全うすることですかね。自分のできることを無理せず、これからも続けていきたい。
6 保護司という仕事に、今後求められてくるものは何だと感じられますか?
我々の時代とは変わり、夫婦共稼ぎで二世代・三世代の助けを得ることのできない家庭が増えている。少子化の時代「社会が子どもを育てる」ことを実践していくことが大切と思う。まだ非行や犯罪に結びついていない子どもたちに目を向け、サポートができればいいですね。
7 人生で大切にしているものは
良い仲間作りですね。色々な活動を通して、人脈が広がっていくとまたその先で元の仲間に出会う。もっと深く根を伸ばし広げ、しっかりとした人間関係を構築していくことができるようです。